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| 所在地 左京区 |
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| 選定番号 第11-031号 |
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| 推薦理由(抜粋) 花道の家元「去風流」は,元禄14年(1701),流祖「去風」により始められた。現在の「去風洞」は大正末期に7世「一草亭」が自宅兼教場として建築し,夏目漱石や九条武子ら近代知識人と生花を通して豊かな交流が展開された。 認定番号
第252号 認定理由 去風洞は、江戸中期に西川清治(去風)によって始められた去風流家元の道場兼住宅である。西川家は米穀商であったが、清治は尺八で身をたてて一時庵と号し、その席に生花を飾ったのが去風流の始まりである。7代・源治郎は日本画、洋画を習い、漢学や本草学を学んだ。明治37年(1904)には実弟の画家・津田青楓とともに、図案雑誌『小美術』を発行し、その頃から花道の教授を始め、家元として一草亭と号した。 大正15年(1926)、流祖の庵・一時庵の再興を志し、浄土寺に自らの設計で去風洞を建築する。大工は上坂浅次郎と伝わる。土塀を巡らした敷地で、木造2階建の建物は南西部分に玄関を配する。南側の前庭に面する客間は、如意ヶ嶽の支峰・大文字山を見上げる部屋で「如意室」と呼ばれ、欄間には一草亭の名を体する一文字の意匠の欄間を嵌める。その北側奥には「一時庵」を配する。同室は10畳大の花室と流祖・去風の祖像を祀る壇の部屋からなる。一草亭が考案した「花手前」のため、花室の南面には引違の笹戸を嵌め、花材を置くため一畳大の地板を入れる。西側面には作品を置いて批評するための長床がつくられている。2階の6畳間には東側に大文字山眺望を臨むための半円形の窓を開ける。 昭和6年(1931)、一草亭は庭園・建築・茶の湯・挿花等の研究を標榜し季刊誌『瓶史』を発行する。同誌の執筆者には京都帝国大学の新村出、浜田青陵、九鬼周造といった教授陣、美術官僚の正木直彦、室生犀星、志賀直哉、長谷川如是閑といった作家・思想家などが名を連ねた。一草亭は建築の設計も手掛けており、建築家・堀口捨己、入門者でもある藤井厚二と深い親交を持った。彼らと交流するサロンとなったのが、昭和5年(1930)、主屋の東側に建築した掃花寮である。数寄屋大工・北村捨次郎の施工とされる。当時、主屋と掃花寮の間には「花の井戸」からの流れが注ぐ「野鶴池」があった。これは一草亭が流祖の庵に因んで作庭したものである。戦後、掃花寮の曳家に伴い改変されたが、池の一部や半月形の手水などが残る。 去風洞には花道にとどまらず、文化人として広く活躍した西川一草亭が自ら設計した創作的な建物と庭園が残る。京都の文化史を語る上で重要な場を伝え、高く評価される。 歴史的風致形成建造物 ホームページリンク: 去風洞のホームページはこちら(外部リンク) |
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