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所在地 左京区 |
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選定番号 第11-001号 |
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推薦理由(抜粋) 昭和29年(1954)開業の旅館。八瀬遊園(1964-2001)開業に伴い,昭和36年(1961)に現在の地に新築移転した。3階建ての本館の設計は,民藝建築家 宮地米三で,黒い古色の材と白い壁が美しく,堂々とした洋風山荘の雰囲気もある。 認定番号
第246号 認定理由 八瀬近衛町に位置する旅館建築で、付近には八瀬童子による宮座で祭祀が営まれる八瀬天満宮社が所在する。旧八瀬村には古くから「かまぶろ」が伝わってきた。窯の中で青松葉を焚いて水をまき、莚の上に寝る蒸し風呂である。江戸期には十数件の窯風呂があったとされるが、明治以降は姿を消していった。現在、ふるさとの敷地内には、明治28年(1895)の第四回内国勧業博覧会時に復原されたかまぶろが残る。大正14年(1925)に叡山電気鉄道とケーブル線が敷設されると、八瀬は比叡山への登山口であるとともに京都郊外の行楽地となっていった。 ふるさとの創業者・東則正は八瀬出身で、明治期には大陸に渡り事業を営んだ。戦後、自らの療養のため、廃絶したかまぶろを復興しようと考えた。床下からの熱気で温まる近代的なかまぶろを完成した東は、昭和25年(1950)に八瀬駅前にかまぶろ温泉本館を建設した。同33年には田中源太郎(京都鉄道社長)の別荘を活用した料理旅館・喜鶴亭、翌年にはヘルスセンターを建設する。八瀬遊園(昭和39年)が開園すると八瀬駅周辺は賑わいを見せた。昭和36年(1961)に別館として建設されたのが、現在のふるさとである。中央棟の建物は鉄筋コンクリート造2階建、北側の客室棟は木造2階建である。設計は、戦後各地で民芸風建築を手掛けた宮地米三、施工は大阪の林組である。本館は大きな妻面を見せる外観である。鉄筋コンクリート造の外壁に木材を貼り付けて真壁造の外観とし民家風意匠を表現している。内部も木部を貼り付けた真壁風で、1階にはロビーの他、浴室が設けられ、男女用のかまぶろを備える。2階の食堂には宮地が考案したテーブル型の囲炉裏がある。畳敷とイス座を囲炉裏で接続する形式は河井寛次郎の影響によるものである。この他60畳の大広間が配される。客室棟は1階7室、2階6室を配し、それぞれ趣向を変えながら民家風意匠を演出する。 八瀬かまぶろ温泉ふるさとは、近代的な設備で復興したかまぶろを有する旅館建築で、戦後の民芸風建築としても評価される。八瀬における近代の歴史を伝える点でも重要である。 |
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