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所在地 下京区 |
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選定番号 第8-027号 |
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推薦理由(抜粋) 西本願寺の脇門跡だったが,明治9年(1876)に真宗興正派として独立し,同派の本山となる。現在の御影堂と阿弥陀堂は,火事で焼失後,明治44年(1911)に再建された。三門,阿弥陀堂門,経蔵,鐘楼,茶室などが建ち,近世から近代にわたる真宗寺院の遺構である。 認定番号
第239号 認定理由 興正寺は、京都市下京区の堀川七条に所在する真宗興正派本山である。親鸞上人が建暦2年(1212)に山科の地に創建したとされる。以降、洛東の地への移転後に応仁の乱で焼失、文明13年(1481)の山科での再興後には山科本願寺の戦いにより諸堂を焼失するなどの盛衰を経た。本願寺が大坂、貝塚などに寺地を移転するたびに追従し、天正19年(1591)本願寺に伴いその南側の現在地に移転した。近代に入り、本願寺に対し別派独立届書を提出し、明治9年(1876)に真宗興正派として独立した。 天正年間の移転後、慶長地震の被災などを経て、ようやく本格的に御堂が再建されたのは天明4年(1784)の上棟時であった。明治35年(1902)、火災で主要堂宇が焼失し、現在の御影堂は、稲垣啓二(現伸和建設)の設計・施工により、明治40年(1907)に起工、同44年(1911)に竣工した。桁行9間、梁間9間、本瓦葺の一重入母屋造で、3間の向拝を備えた大規模な仏堂建築である。前面を広い参詣席とし、外陣と内陣境に扉を嵌め上部を絢爛な木彫欄間で飾る。内陣両側に余間、飛檐の間を配する浄土真宗の本山級寺院に見られる平面形式をとる。阿弥陀堂は、同じく稲垣により明治43年(1910)に起工、大正4年(1915)に落慶法要している。桁行7間、梁間7間と御影堂よりやや小ぶりで、屋根を二重としている。 両堂をつなぐ高廊下は大正7年(1918)の竣工である。唐破風屋根を本瓦で葺く。鐘楼は安永3年(1774)、経蔵は嘉永元年(1848)の建築で、明治の焼失を逃れた。経蔵は二層の楼閣風建築で、1、2階とも南側に唐破風を向ける。1層部分は漆喰で塗籠め、上層の腰組には三手先の長い雲型状肘木を用いる独特の意匠である。堀川通に面して南寄りには大正4年建築の楼門形式の三門が建つ。北寄りに四脚門形式の阿弥陀堂門は、江戸末期に遡る可能性が指摘される。 明治期に建築された大規模な両堂を中心とした建築群は、浄土真宗の本山としての格式を有し、極めて高く評価される。 ホームページリンク: 本山興正寺のホームページはこちら(外部リンク) |
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