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地野八右衛門家(ちのはちえもんけ)[Chinohachiemonke]

所在地
 山科区
 
選定番号
 第12-020号
  


推薦理由(抜粋)
 主屋は、明治前期の建築と考えられる。おくどさんをはじめ、吹抜け、煙出しの残る農家住宅。そこに住まう人や出入りする人に合わせて建てられ、農業に携わる人の文化を伝えるものとして残していきたい。



認定番号
 第261号

認定理由
 地野家が所在する西野地区は、中世には野村郷に属した。文明10年(1478)から天文元年(1532)には、蓮如上人が築いた山科本願寺の寺内が所在していた。現在、地野家の所有する農地には山科本願寺の寺内跡も含まれる。近世には同地は西野村となり、旧山科郷の地域は「禁裏御料」となった。明治22年(1889)に旧村が合併して山科村となる。地野家の過去帳等には、享保15年(1730)に没した初代当主「源兵衛」の名が確認される。家伝によれば檀那寺である西宗寺が江戸時代に焼亡したが、その近隣にあった地野家も罹災して、現在地に移転したと伝わる。現在の本堂は弘化元年(1844)の再建であり、地野家が現在地に屋敷を構えたのも同時期の可能性が考えられる。
 東西の通りに面した敷地の北側部分に主屋を建て、西側に門を構える。門を入ると燈籠や飛石を配した庭の西側から主屋入口へとアプローチする。主屋の南西に納屋、敷地の南東には離れが建つ。納屋には梁の墨書から明治15年(1882)の建築と確認される。主屋は桟瓦葺のつし2階建で、2階には改変された部分もあるものの、むしこ窓を設け、屋根に煙出しを載せる。西側に土間を配し、耐火煉瓦を用いた5口の改良型カマド(クド)を備え、上部の吹抜けと合わせて内部空間の見所となっている。ハシリ土間の柱や繋ぎ梁の意匠は、むしこ窓の外観とともに、京町家の影響を感じさせる。居室部分は食い違いの四間取り平面である。上手表側がブツマで、床、違い棚、仏壇を備える。土間境のゲンカンには提灯入れ、ダイドコロには神棚や水屋箪笥が残り、農家建築の内部空間を良く伝えている。主屋には年代に関する資料がないが、部材から納屋と同時期の明治前期の建築と推測される。離れは、桟瓦葺き、平屋建の建物である。床と違い棚を備える6間を中心とする。御幣から昭和38年(1963)の上棟と判明する。離れの建設以前には、庭の南側には畑地が広がっていたという。
 地野家は明治前期の建物と考えられる山科地域の旧家の農家建築である。内部空間も改変が少なく、土間の空間を良く伝える貴重な建物である。



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